こんにちは。げんです!
今回もあらゆるモノのはじまりを深堀していきましょう。
今回のテーマは、「野球」
世界的人気スポーツの「野球」ですが、皆さんは「野球」のはじまりはご存じでしょうか?
どういう経緯で誕生し、そして日本に伝わったのか。今回はそんな疑問を解決していきましょう!

それではさっそく「野球」のはじまりへ!
野球のはじまりって何?

フランスで誕生
実は「野球」の元となったスポーツは、フランスで誕生しました。
それは「ラ・シュール」と呼ばれるスポーツです。
12世紀頃にとても人気のスポーツだった「ラ・シュール」は、「野球」だけでなくさまざまな球技の起源とも言われています。ただ、死者やけが人も出たことがあったそうです。。
それでも人気競技だったと言われるのは相当楽しいものだったのでしょう。
~ ラ・シュールのルール ~
- 2チームで実施
- 手足、道具を使用
- 杭の間にボールを通すことで得点
イギリスで発展
14世紀「ラ・シュール」は、イギリスに渡って、「ストールボール」というスポーツに変化しました。
~ ストールボールのルール ~
- 攻守交代制
- 攻撃側はボールを的に投げる
- 守備側は的に当たらないようにする
その後、18世紀頃には「ラウンダーズ」と呼ばれる派生スポーツも誕生しました。
~ ラウンダーズのルール ~
- 攻守交代制
- 1チーム9人制
- 五角形のグラウンドを使用
- 小石を詰めた袋や靴下をボールの代用
- ボートのオールなどでボールを打つ
- グラウンドを1周で1点
- 走っている間にボールを当てられるとアウト
- 全員アウトで攻守交替
- 攻守交代を2周する
ルールを見ると、今の「野球」とほとんど同じですね。このあたりから、ルールが近づいてきたと言えるでしょう。
現代野球へどうやって発展した?
「ラウンダーズ」と呼ばれる現代に近いスポーツが誕生しましたが、まだ少し「野球」とは呼べない別のスポーツですね。
それでは一体どういう経緯で、現代の「野球」になったのか、続きを追いかけていきましょう。
アメリカで完成
「ストールボール」や「ラウンダーズ」は、遂にアメリカにも伝来しました。
当時は、明確なルールは定まっておらず、やる人により変わっていたといいます。トランプの大富豪にローカルルールがたくさんあるみたいな感じですかね。
そんな中、1840年代に消防団員のアレクサンダー・カートライトによってルールが定められました。
彼は、団員の運動不足とチームワーク強化を目的として、「ラウンダーズ」を取り入れた際、プレーの混乱を招かないためにルールを定めたとされてます。
それは、「タウンボール」と呼ばれました。
~ タウンボールのルール ~
- 攻守交代制
- 1チーム9人制
- 打者が3球空振りをし、3球目をキャッチャーが捕球するとアウト
- 打球がノーバウンドかワンバウンドで捕球されるとアウト
- 3アウトで攻守交代
- 21点先取で勝利
カートライトは、「ニューヨーク・ニッカーボッカーズ」というチームも作りました。
1846年6月19日には、VSニューヨーク・ナインとの試合も行われ、この日を「ベースボール記念日」とされています。
その後、数年の時を経てルールは改定され、現代野球へと変わっていきました。改定されたルールには、21点先取を9イニング制に、走者へのアウトはノーバウンドのみとするなどがあります。
日本に見参
1872年、アメリカ人教師ホーレス・ウィルソンにより、ベースボールが遂に日本にも伝わりました。
その際に、「ベースボール」⇒「Ball in the field」⇒「野球」と、日本で初めて翻訳した人物が明治の教育家・中馬庚(ちゅうまんかなえ)です。
それまでは、「底球」「玉遊び」「打球鬼ごっこ」などと、まさかの名前で呼ばれていたのです。
1895年には「一高野球部史」という本を発行し、その後「野球」という専門書も出され、昭和30年代には広く浸透したとされています。
意外と「野球」という名で日本に伝わったのは最近な気もしますね。
そして、1915年にはみんな大好き夏の甲子園の前身「全国中等学校優勝野球大会」も開かれ、さらなる盛り上がりを見せました。
まとめ

今回は「野球」のはじまりについてみてきました。
- 「野球」は、フランスの「ラ・シュール」が起源
- 「ラ・シュール」⇒「ストールボール」⇒「ラウンダーズ」⇒「タウンボール」⇒「野球」と変遷
- 日本では中馬庚が「野球」と初めて翻訳
「野球」のルールが定まった年や、日本に伝わったのは想像よりも最近だなと感じましたが、皆さんはいかがでしたでしょうか?
当記事の続きでもある「日本野球」の歴史は別記事でまとめようと思います!
というわけで今日も少し賢くなれましたね。
ここまで読んでくださってありがとうございます!それではまた!
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